2019年6月 3日

お稲荷さんについて。

お稲荷さんについて。
 お地蔵さんと並んで、日本全国どこにでも社があるお稲荷さん。
 仏を崇める地蔵と違って、稲荷は狐を崇めます。そこだけを見ると淫祠邪教です。しかし、崇めている我々に、淫祠邪教という気分はありません。そこに稲荷の面白さがあります。
 稲荷は京都の伏見稲荷大社が大本です。では、伏見稲荷大社はいつからお稲荷さんを崇めるようになったのでしょうか。
 もともと日本には縄文・弥生時代から山岳信仰がありました。山岳信仰は、突き詰めると「天に近い山はなんとなく尊い気がする」という自然な感情に由来します。有名なのが富士山。我々は富士山をみて、なんとなく尊いと思う。これが山岳信仰です。この、なんとなく尊いと思う山を神体山といいます。

 伏見稲荷大社は、京都市の南方、稲荷山にあります。もともと伏見は野原で、稲荷山から発掘された土器からみて、紀元前五世紀くらいからチラホラと人が住み着いていたようです。この辺りは洪水が多く、大規模な治水がされるまでは、人の少ない野原で狩猟採集の場でした。
 そして千年ほど過ぎて、五世紀頃に渡来人がこの地にやってきます。彼らは秦氏という一族で、朝鮮で起きた戦争から逃げてきた一族らしい(現在の朝鮮人とは別の民族です)。彼らは治水の知識があり、堤防を作って稲荷山周辺を稲作に適した土地に変えました。
 それから二百五十年、世代でいうと十世代ほどが経過します。この時期、日本は国家意識が強まり、古事記などが編纂されています。伏見稲荷も古事記に由来が書かれましたが、餅が白鳥に変わって空を飛ぶ話が収録されています。この「餅」は、米がたくさんとれる土地という意味で、白鳥は神のいる土地という意味。治水が成功してコメの産地になったことを暗喩しているのでしょう。稲荷山の稲荷という言葉もこの頃についた名前らしい。それ以前の名前は記録に残っていないので不明です。

 七世紀ごろになると、伏見で稲作が盛んになります。日本最大の消費地である京都に近いという地の利から、土着化した秦氏ともども繁栄します。七世紀以前、神体山だった稲荷山のご神体は、山頂付近にある巨岩だったと思われます。しかし、七世紀ごろから崇拝の対象が豊穣神とその使いである狐に変わりました。これは崇拝する人間たちの関心が、山岳信仰よりも田畑の豊穣を優先するようになったことを示しています。つまり、「狩猟採集の猟師にかわって農家が伏見一帯で強い力を持つようになった」ということです。
 そして変化は連鎖的に発生します。稲作農家の激増は、伏見周辺を都市化させました。都市化は農業だけでなく商業も促進し、京都へコメを運ぶ流通も発達します。こうして伏見では「市民」が力を持ち始めたのです。その力は主に経済力でした。お稲荷さんが豊穣だけでなく、商売繁盛の神である理由もここにあります。後に、天皇も伏見の経済力を無視できなくなり、伏見稲荷に正一位を寄贈し、わざわざ神道のなかで序列化し、体制のなかに取り込もうとしています。それだけ伏見の市民階級が力のある勢力だったのです。

 かくして稲荷信仰は、神道や仏教をとりこみ、現代まで続きます。狐を崇めるという神道や仏教の基本から外れた(基本から外れていなければ、そもそも神社やお寺に別個に稲荷の社を作る必要はない)民間信仰が現代まで生き残った理由は、ひとえに伏見が経済的な繁栄を続けたためでしょう。また、京都に近いが、京都そのものではない地の利から、政府の隆盛とは関係なく生き残ることができたことも見逃せません。
 さて、以上を踏まえて伏見とはなんなのかといえば、古代ギリシャ的なポリスといえるのではないでしょうか。惜しむらくは同格の都市が周辺に少なく、あったとしても衰亡してしまったため、伏見が単独の文化圏になってしまったこと。そうでなければ伏見大社のようなパルテノンを持つ都市が日本国内にもっとあったかもしれないのです。
 想像してみると、そういう世界も楽しいと思います。

2019年3月 8日

日本の政治はコインの裏表

 日本の政治には昔から「大陸派」と「孤立派」の二大潮流があります。
 おおまかに言って、大陸派の本拠地は西日本、孤立派の本拠地は東日本です。これは地政学の初歩で、西日本は中国大陸に距離的に近いので大陸の存在を無視できません。逆に東日本は大陸から距離的に遠く、間に西日本というクッションがあるので大陸の存在を無視できます。
 後に冷戦時代になると孤立派が親米派に置き換わったり、大陸派の一派にロシア派やソ連派が加わったりしますが、日本の政治はこの2派のぶつかり合いが基本です。

 さて、ここからが本題。
 大陸派の利益は主に貿易です。大昔は仏典や社会制度の知識、中世になると銅銭や陶器などを輸入し、かわりに食材や砂金などを輸出しました。貿易は大きな利益になるので、大陸派は国内政治で大きな力を持ちます。しかし、いつの時代でも一方の勢力が大きな力を持ちすぎると話が変な方向に転がるのは政治のお約束。大陸派の一部が関税や制限の多い貿易をするだけでなく、現地を占領したほうが儲かるのではないか、と考え始めるのです。
 日本史を見ると、日本の対外戦争はたいてい政治的軍事的観点で語られます。経済的な観点で語られることがないのは、表向きの動機にはなりにくく、記録に残りにくいからでしょう。しかし、戦国時代末期の秀吉の朝鮮征伐の頃になると割と資料が残っていて、経済目的の戦争であったことがわかっています。さらに近代になると日本の海外植民地建設の理由に、経済的な理由があったことが語られるようになります。日清戦争、日露戦争、そして日中紛争と日本が大陸に介入した裏側には、日本政府と現地政府の貿易のいざこざが背景にあります。
 もっとも有名なところで太平洋戦争の発端は、アメリカの石油や屑鉄の禁輸(軍事問題として語られるけど、禁輸は普通に経済問題)です。それ以前からアメリカは満州や中国市場への門戸開放(これも経済問題です)を日本に求めており、それを蹴ったことから関係が悪化していきました。ではなぜ蹴ったのかといえば、当時の日本は大陸派に牛耳られていたからです。孤立派はアメリカとの関係悪化は望みませんが、アメリカも孤立派も大陸派が満足する飴玉を出せなかったため、妥協が成立せず、太平洋戦争がはじまります。
 そして戦争末期、本土が焦土になってはじめて、大陸派が孤立派の言い分が正しかった。アメリカとの戦争は割に合わないと自覚してようやく終戦が成立します。戦う前から大陸派に対米戦争は割が合わないと説得できていれば、あの戦争はなかったのです。

 そうやって考えてみると、いくつかの教訓が導き出せます。すなわち、大陸派が孤立派を圧倒してしまうと日本は好戦的になり中国大陸で戦争を始める傾向があることです。
 戦後、中国やら半島やらロシアやらが親米一色な孤立派に支配された日本を味方にしようと、大陸派に資金や情報を供与してきましたが、もしそれで大陸派が日本の政局を席巻してしまうと日本は大陸と戦争する可能性が高まります。皮肉な話ですが、味方にしようとしたのに敵になるわけです。
 日本のマスコミもまた大陸派と孤立派にわかれています。朝日新聞は戦前も戦後も変わらぬ大陸派で、戦前は反米・大陸侵略派で、戦後は反米・大陸友好派でした。こうしてみると、大陸侵略も大陸友好も同じコインの裏表、強弱だとよくわかります。

2019年2月12日

敵を知り己を知れば

【悲報】政府、実質賃金の参考値は公表しないことを決定。偽装して隠蔽とか大丈夫なのかこの国
http://blog.livedoor.jp/itsoku/archives/54851978.html
【指標】18年実質賃金、2年ぶりプラス 実態に近い基準はマイナスの公算 [速報値]
http://blog.livedoor.jp/jyoushiki43/archives/52092746.html
日本の若者、貧困すぎて終わる 「税金・保険料・年金で金取られすぎ。コスパ?安い物しか買えない」
http://blog.livedoor.jp/rbkyn844/archives/9328549.html
 中国の兵法書に『敵を知り己を知れば百戦危うからず』という言葉があります。
 これは指揮官向けの言葉で、戦争で勝つには情報収集が必要という言葉です。
 実際、日本が戦争に勝ったときはたいてい、指揮官が情報収集をして作戦を立てていました。逆に負けた戦争は情報収集が適当でした。日中戦争、太平洋戦争はその典型。相手の戦力や戦法の情報収集をおざなりにし、こちらの思い通りに相手が動くと仮定して作戦を立てて負けました。たとえばインパール作戦が有名ですが、情報収集を怠った司令部が立てた適当な作戦で日本軍は自滅し、補給のないジャングルで何万人も戦死(餓死)しています。太平洋戦争中盤から後半にかけて日本は連戦連敗しますが、その原因は決まって情報収集の不足でした。
 現代において、国家が己を知る最大の武器は統計です。統計が間違っていると、すべての政策が根拠を失います。特に税金関係は悲惨です。「若年世代に若干の余裕を持たせて税金を絞りとるつもりだったが、まさか統計が不正確と思わず、若年世代から絞りすぎた結果、少子化と貧民化が加速して経済がガタガタになり、取り返しがつかなくなった」となりかねません。いやもうなってるんだけど、どうするのよこれ。現代のインパール作戦ですよ。

 ではなぜ統計の不備が見逃されてきたのでしょうか。それは統計が、というより情報が重視されていなかったからでしょう。日本は戦後半世紀以上、平和に漬かってきました。『敵を知り己を知れば百戦危うからず』というのは戦時の指揮官の心得。平和時は情報にコストをかけず、節約するほうが儲かります。しかし、そうやって情報部門を軽視すると組織全体が情報を軽視する体質になり、結果的に組織が破綻することになります。それが現状です。

 これは国家の話だけではありません。民間もまた国家に習って情報を重視しない体質になり、格下と思い込んでいたアジア各国にビジネスで追いつかれて「どうしてこんなことに」と嘆いています。情報を重視していれば、そんなことにはならないのですが。

 「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」と野球の名将が言っていましたが、負ける場合はたいていが「情報収集/分析」で致命的な失敗をしています。しかし、たいていは情報不足が原因と気づかないほど情報音痴なので「運が悪かった」で済ませます。そうなるともう原因分析ができなくなります。なにしろ原因は「運が悪い」のですから。

 戦後半世紀を過ぎても、いまなお右翼も左翼も太平洋戦争の総括ができないのは、彼らが情報音痴で「運が悪い」ことが原因だと考えているからです。ゆえに日本の右翼も左翼も、戦前と同じ間違いを延々と続けます。そして日本の言論は右翼と左翼がリードしているので、国民もまた同じ間違いにつき合わされてきました。
 そしてこの論自体も、昭和の中頃にはすでに唱えられているのですが、平成が終わろうとしてもいまだに右翼も左翼も変わりません。それこそ太平洋戦争以上の災禍があっても彼らは変わらないのかもしれません。

2018年6月 8日

自衛隊と旧軍と三原則

書評『防衛大流 最強のリーダー』 小林 武史

http://agora-web.jp/archives/2033034.html

 防大3大ルールの「ウソをつくな、言い訳するな、仲間を売るな」は、従っているとアホになります。

 というのも「ウソをつくな」と「仲間を売るな」はコンフリクト(矛盾)しているからです。たとえば「嘘をつかないと仲間を守れない状態」になった場合、彼らはどちらを優先するのでしょうか。どちらを優先しても彼らは思想信条に反します。

 わかりやすい例でいえば、例のPKO日報問題で自衛隊が「ウソをついて」「言い訳をした」のも「仲間を売る」懸念があったからだと考えられます。

 ほかにも、自衛隊員のイジメ問題もイジメられる隊員が「ウソをつく」「言い訳をする」「仲間を売る」からイジメたのだというのが、イジメる側の理屈で、上の人間もその原則を持ち出されると弱いのかイジメを放置して、結局イジメられた隊員が絶望して自殺するという事件が頻発していました。類似の事件を漁れば、おそらく戦前から似たような事件が連綿と続いていることがわかるでしょう。というか、自衛隊がらみの事件ってだいたいこのへんが根っこになることが多い印象です(統計とってないから確言できないけれど)。

 そうすると、防衛大=自衛隊の思想信条はじつは破綻していることになります。これはどこかで見た光景です。そう、旧軍が太平洋戦争に突入したときも「アメリカは日本が中国から撤退することを求めている。しかし、日中紛争で散華した英霊に申し訳ないので撤退しろといわれても納得できない。ゆえにアメリカと開戦する」という理屈でした。要するに、「仲間を売るな」を拡大解釈した結果、「英霊に申し訳がない」という理屈が生まれ、旧軍は国家を巻き込んで亡国に突き進んだわけです。彼らにとってはそれは正しいことなのでしょう。実際、いまだにそれが正しいと強弁している人が大勢います。特攻隊を称賛するのもその理屈が元になっているからです。要するに、自衛隊は教育方法が旧軍と同一のため、精神性がたいして変わっていないのです。そしてコンフリクト問題を放置すると、亡国まで突き進む可能性があるという教訓が得られました。

 アシモフのロボット三原則も、こういう原則同士のコンフリクト問題があらわれます。結局のところコンフリクト問題は三原則に優先する第0原則が登場してやっと矛盾を回避しました。それと同じことが防衛大=自衛隊にも必要なのでしょう。ここにメスをいれることが、本当の文民統制になるのですが、いまの政治家にそれができるのかどうか。

2018年5月18日

日本の政治を改善するたったひとつの冴えたやり方。

日本の政治を改善するたったひとつの冴えたやり方。

 現状、野党は政権を取る気もなければ、運営する能力もない。
 しかし、自民党が延々政権を運営すると腐敗するし、民主主義でもない。
 そこで野党がなくても回る民主主義を考えた。もちろんローコスト、ローリスク。

・自民党内に自民Aと自民Bという2派閥をつくる。Aが労働者の味方、Bが経営者の味方などわかりやすい対立にするといい。
・選挙時、自民党としての基本的な公約と、自民A、自民Bそれぞれの派閥の公約を作り、候補者の選挙ポスターに派閥名を記載。
・投票者は自民A、Bの公約の好ましい候補者に投票する。これだけ。

 たったこれだけ。
 ほとんど金はかからないし、有権者も候補者もまじめに公約を考えるようになるし、いいことづくめ。
 自民党のメリットは有権者が本当に求めていることがABの公約を通して知ることができる。
 消費税とか外交とか、自民党として有権者に選ばせたくない政策はABの公約に含めなければいい。
 なんなら、AB派閥でそれぞれ総理候補を立ててもいいし、立てなくてもいい。
 マスコミもいくら自民党が嫌いでも、AB派閥の違いを報道しなければ視聴率にならないので自民党自体の露出は高まる。
 これで有権者の不満を細かく解消すれば、お灸をすえるという理由で野党に政権をとられることもなく、数十年単位の長期政権も夢ではない。

 デメリットは、自民党への不満が減るから、野党が本格的に再起不能になることくらい。もっとも、これは現状の野党と大差ないのでコラテラルダメージ。
 もう一つのデメリットは、AB派閥に分かれることで、米中韓北露という日本に興味を持つ国が派閥の買収にかかること。派閥に分かれた分だけ、買収が簡単になる。まあ、現状でも買収にかかっているので、どちらの派閥にどこの国が粉をかけているということが可視化されると思えばこれもコラテラルダメージ。

2017年10月31日

日本人の対中国認識をあらためる話

習近平が3時間超を費やして語った「あまりに強大な夢」の中身(近藤 大介)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53296
中国の経済力、軍事力、ソフトパワーが日本の3~4倍にならないと日本は言うことを聞かない...中国軍事専門家!
http://blog.livedoor.jp/corez18c24-mili777/archives/50967023.html
中国共産党、新指導部を選出 習氏後継者は示唆されず
http://www.bbc.com/japanese/41745737
【主張】中国権力闘争 政敵の粛清いつまで続く
http://www.sankei.com/column/news/170803/clm1708030001-n1.html
 中国やロシアなど東側諸国に共通する政治的な傾向は、リーダーが強くないと国家が四分五裂して、短い期間で弱体化することです。一方、日本やアメリカのような西側諸国もリーダーが弱いと四分五裂しますが、短期間で崩壊するような最悪の事態にはなりません。これはなぜかといえば、中国やロシアが、かつてモンゴルに征服された経緯があり、その統治システムを受け継ぎ、遊牧民的社会基盤を持っているためです。
 *参考図書「エマニュエル・トッドで読み解く世界史の深層」でぐぐってください

 遊牧民的社会基盤というのは、少数の支配層が大多数の被支配者層に君臨するシステムです。支配層がモンゴル人、従属層が中国人という清朝の構図を思い浮かべてください。これを共産国になった中国は、支配層に共産党員、従属層が中国人という構図にスライドさせました。ソビエト時代のロシアも同様でした。一方、異民族に征服されなかった日本やアメリカには、もともと支配層や従属層というものがありません。支配層が存在する国家と、そうでない国家では、政府や人民の思想が大きく変わります。日本人が中国人を理解できないところは、だいたいここに根源があります。
 たとえば日本人は、中国人の「面従腹背」を正当化する理屈を理解できません。しかし、彼らの上に支配層が存在し、それに対して人民が「面従腹背」を武器にしてきた経緯を知ると、外国からきて中国人に命令する日本人には「面従腹背」で抵抗することが彼らの社会的正義だとわかります。外国人が、中国人に商売相手としてではなく、上下関係で接すると反発されるのはこのためです。実際、中国の抗日ドラマだと日本人を騎馬民族風の支配層として描いています。これは歴史的な事実に準拠したドラマではなく、彼らの心象風景に準拠したドラマなので、そういう描写になるのです。ここも日本人が中国人と話していて違和感を感じる部分でしょう。しかし、中国やロシアの排外主義が爆発しやすいのはそういう国民感情が基底にあると思うとわかりやすくなります。

 さて、習近平が強いリーダーを演じている理由はここにあります。現在の支配層である中国共産党が弱いと思われたら、人民は面従腹背をするからです。そうならないように、強いことを演出するには領土を増やすことが一番です。中国の膨張主義はこれが原因です。尖閣が狙われる理由もこれで説明できます。逆に、日本が中国に話を聞かせるには「こんなこともできないのか、お前は弱いな」と嘲笑してやることです。たとえば「北朝鮮をコントロールできない中国指導部は弱い」と嘲笑すると、彼らはメンツにかけてコントロールするようになります。中国指導部が有能だと証明できなければ、人民が面従腹背し、国内が騒然となるからです。ゆえに、トランプはわざとツイッターで、中国人民にも見える形で北朝鮮問題に対する中国の弱腰を嘲笑した、と考えられるのです。偶然だったとしても、効果的な手で、あのトランプのツイート以降、北朝鮮の行動はトーンダウンしています。
 そういう目線で、「中国の経済力、軍事力、ソフトパワーが日本の3~4倍にならないと......」という論文を読むと、中国軍事専門家が日本人の行動原理を中国人民と同じだと考えていることがわかります。中国の影響力が何倍になろうと、大多数の日本人にとって外国の話ですから気にする必要もありません。日本人が中国人の行動原理を理解できないのと同様に、中国人も日本人の行動原理を理解できないのです。

 では、習近平が強いリーダーを演じきれているのかという問題について。これは後継者を決めていないというニュースから、後継者を決められるほどの絶対権力がない不安定なリーダーだということがわかります。また、政治的敵対者を粛清しているというニュースもよく耳にするので、そこからも不安定なリーダーということもわかります。つまり、リーダーの権力が不安定なまま権力拡大志向を見せていることから、習近平はどんな外道な政策でも生き残るためなら迷わず選ぶ、スターリンタイプのリーダーということがわかります。そして東側諸国のもっとも怖いところは、こういう指導者がいる間は、体制が盤石だということです。
 そういう指導者のもとでは、粛正で反対意見を圧殺することで国家方針が強固になりますが、方針修正が必要な時に部下の暴走を止められなくなり、国家の姿勢が先鋭化していきます。それでもスターリン型ですから、たいていの矛盾や障害は暴力でクリアされます。これが破綻するのは、旧ソビエトの例をみてもわかるように、政治や軍事が経済を圧迫し、国民の生活が成り立たなくなったときです。ゆえに中国指導部は経済的な破綻に神経質になり、強権で破綻を先延ばしにします。しかし、先延ばしをすればするほど破綻の反動は大きくなります。五年や十年ではなく、半世紀という単位で見ると、その反動が国家を揺るがすものになるでしょう。

 以上、日本人が中国と習近平の実像について、すこし誤解している部分があるので、書いてみました。

2017年10月11日

現代日本が戦争に弱い理由

 軍事において、武器や補給よりも重視されるのが「意思」です。中世以前の軍学書はもちろん、現代の軍学書でも「意思」を最重視しています。
 意思とは何かといえば、軍事力で何をするか、という「構想力」のこと。ここがブレていると、せっかくの軍事力が機能しません。

 たとえば太平洋戦争における日本軍。一般的には、刀尽き矢折れて、それでも万歳突撃で戦う意思力のかたまりのようなイメージがあります。しかし、それは軍学書のいう「意思」ではありません。特攻も含めて、日本人が追い詰められて発揮した意思力(と思われているもの)はだいたいが、ただのやけっぱちでした。
 そもそも太平洋戦争では、軍事力で何をするかという点が陸海軍・政府・天皇・国民、すべてが同床異夢でブレブレだったので、戦略目標も作戦目標も定まらず、陸海軍・政府・天皇・国民が望まぬアメリカと戦い、敗戦しました。せっかく国の財政を傾けてまで軍事力を整備したのに、その整備した軍事力で何をするのかという「意思」がおろそかだったのです。日本は開国し民主化したことで、幕末と比べて巨大な軍事力を手に入れましたが、その一方で意思決定に劣り、軍事力を活かすことができない国になっていました。日露戦争までの日本が、意思決定において優れ、戦争にも強かったことを思うと、悲しいまでの落差です。
 いまでも特攻を神聖視する風潮が、政治家・自衛隊を含めてありますが、あれは軍事を知らない素人の妄言です。クラウゼヴィッツにあやまれといいたいところですが、なぜか高級将校教育を受けた人でも、意思とやけっぱちを一緒にしている人が多いのが不思議なところです。評論家・マスコミ関係者も同罪ですが、軍事の基本を理解していない人が多いのはなぜなのでしょうか。いや、そういうところが戦前の日本と地続きになっているといえば、日本は何も変わっていないのだなと納得するしかないのですが。

 一方、中国や北朝鮮は共産党独裁なため、意思が強固です。かつてのソビエトを見ても明らかなように、共産党独裁は経済的にはマイナスですが、軍事的にはプラスに働きます。これがただの独裁なら、軍事力はさほど重視されないのですが、共産主義は拡大志向で好戦的なドクトリンをもつため、軍事力と意思がかみ合います。これが共産国のほとんどが軍国主義になる理由です。本当にやっかいな話です。

 さて、意思についてですが、なぜ日本がこれほど意思が乱れてしまうのかという話。ぶっちゃけ、日本は島国であり、わかりやすい脅威がありません。選択肢が多く、日和見もできる立場です。それゆえに、国民が賢い立ち回りをするには、賢くならなければなりません。つまり、学習が必要なのですが、日本社会を見るとどうも日本人は不特定多数を「学習させる」ことが非常に不得手なようです。一方的に情報を「押しつける」ことを「学習させる」と盲信している人が多すぎるのです。右翼も左翼も、そして中道も、情報や思想を押しつけるばかりで、学ばせる/学ぶ気持ちがかけらもないことは、総選挙前の各党の政策を見ていればわかります。結果、選挙は政策ではなく、人気投票になります。

 このあたりを敷衍していくと、日本全体を覆うブラック企業体質とか日本人の生産効率とかの話になっていきます。政府が今、ブラック企業退治をやろうとしていますが、最終的には「学習」の問題になるのでしょう。そこをクリアできたとき、はじめて日本人は太平洋戦争が突きつけた構造的問題を乗り越えることができます。でも、これって日本の家族構造の問題でもあるのですよね。我々日本人のバックボーンが、権威主義的な家父長制だから、情報や思想を押しつけることが学習だと錯覚してきたわけです。つまり、ブラック企業退治は権威主義的な家族制度の改革でもあるわけですが、そこまで意識して踏み込むことができるのか......。

2017年9月19日

国名変更のススメ

日本 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC
 「日本」という呼び名は、「中国から見て日の昇る方向にある国」という意味。他者の視点で自己を定義した国名です。それ以前の「倭国」という呼び名は、「我の住む国」という意味で、自己の視点で自己を定義した呼び名で、どちらもシンプルなところが共通しています。

 ところで、倭国が日本に移行したのは、日本が他国の存在を認識し、国家意識が生まれた結果と考えられます。後に日本が大日本帝国という名前に変化したのは、幕末の動乱で中国以外の西洋諸国を認識した上で、自己を再定義した結果と考えられます。

 大日本帝国という呼び名にマチズモ(脳筋思考・軍国思考)の匂いがするのは、それが帝国主義時代を生き残るのに必要な思想だったからです。そして太平洋戦後、日本という国名に回帰した結果、日本人の自己認識がさらに変化しました。マチズモがきれいさっぱり消え去り、絶対平和主義の時代になったのです。

 そう考えると、北朝鮮や中国の危機が目の前にある現代。これからの日本がアメリカの庇護から離れて、自主的に国を防衛する国家を再建するには、日本という国号は少し弱すぎるのかもしれません。国号は憲法の発布ごとに再定義するものなので、改憲議論の出ている今が変更するチャンスです。しかし、戦前の大日本帝国という国号が持つマチズモは強すぎました。自国を防衛する程度の意識改革なら、大日本帝国という国号よりも弱く、日本という国号よりも強い印象を与える国号が必要でしょう。

 たとえば「日本共和国」「日本合衆国」。このくらいの強さがあれば、ちょうどいいんじゃないかな。

2017年5月31日

日本の経済は心臓が動いていない


経済活動と銀行の役割 - 全国銀行協会
https://www.zenginkyo.or.jp/article/tag-h/3803/
 経済学の教科書を読むと、銀行の役割について「経済の心臓」という呼び方をしています。
 なぜ心臓かといえば、銀行が民間に金を貸し、民間が銀行に金を預けることで社会に金が循環することを、身体に血液を循環させる心臓にたとえたからです。
 さて、経済の心臓である銀行ですが、その役目を果たしているかどうかの指標のひとつが、預金の利率です。銀行が民間に金を貸したくても、手元にお金がなければ貸せません。そこで民間から預金を吸い上げる餌として、利率があります。利率が高ければ高いほど、銀行はお金を欲しており、低ければ低いほどお金を欲していないことがわかります。
 バブル以降、日本の銀行の金利は最低です。これは銀行にお金が余っており、使い道がないことを意味します。つまり、バブル以降、日本の経済は心臓が止まっている状態なのです。
 お金が余っている理由は、民間が倹約に勤め、投資や消費をしないからです。
 民間が投資や消費をしない仕組みは以下の通りです。

 第1、国民は給料が上がらないし、将来的に上がる見込みもないから消費や投資も控えるし、家や土地などの売買にも積極的にならない。
 第2、会社は国民の消費意欲が低いので国内市場に投資しても見返りが見込めず事業拡張もしない。社員の給料は据え置き、内部留保を増やす。
 第3、銀行は国民も会社も金を借りないので利率を下げ、確実に成功する事業以外には金を貸さない。結果、消費も投資も停滞する。
 
 この負のスパイラルの発端はバブル崩壊と、その後の銀行の貸し渋りが原因でした。
 そのバブル崩壊から20年。負のスパイラルが延々続いた結果、国民は「消費をしない」、会社は「投資をしない」「人材に金をかけない」ことが常態になりました。
 その結果、景気は停滞してデフレになり、国内企業の技術力も全体的に停滞し、海外に追い抜かれています。

三菱UFJ銀行が基幹システムをAmazonに移管しクラウド化
http://alfalfalfa.com/articles/186550.html
【悲報】三菱UFJの「勘定系システムをAWSに移す」発言で日経ITベンダー震撼中
http://blog.livedoor.jp/itsoku/archives/51352751.html

 このニュースが典型です。銀行は国内の会社に発注することで、国内に金を還流するのが本来の業務ですが、それをあきらめなければならないほど、国内企業の技術力が低くなってしまったのです。
 アベノミクスはこの停滞を吹き払うための経済政策でしたが、日銀を動かしただけで満足し、国民の消費意欲を高めることはできませんでした。なにしろ、アベノミクス開始時にやっておかなければならなかった民間の賃金上昇策とブラック企業退治にいまようやく手をかけたところですから。いったい今まで何をやっていたのやら。
 では、遅まきながらも対策がされたことで経済の心臓が回り始めるのかというと、それだけでは期待できません。なぜかといえば税金が問題です。なにしろ賃金の上昇率よりも国税・地方税含めた増税のスピードのほうが高いという笑えない現状があります。
 また、すこしでも経済が好転すれば消費税増税を唱える論者がマスコミを賑わせます。これでは民間の消費意欲が高まるはずがありません。実際問題、政府が雇用目的でバラまいている膨大な金を減税に向けていたら、景気が上向きになって雇用も勝手に充足していたはずという説もあります。本当に笑えません。

【悲報】重税世界ランキング、日本2位
http://www.scienceplus2ch.com/archives/5385660.html
世界重税ランキングで日本2位はウソ?本当のランキングはこれだ!
http://yorozu-do.com/heavy-tax-ranking/

 重税のランキングですが、「本当のランキング」は24位らしい。けれど、これって年金とかNHKとか重量税とかガソリン税とか、「事実上の税金」が含まれていない数字で比較しているから24位なんですよね。それらを含めたら順位はもっと上がるし、年金なんか払っていてもリターンがあるのか不透明なので、年金がおじゃんになった時に備えて貯蓄しなければならない。実際、若者は税金と衣食住だけでアップアップになって、子育てする余裕もなく少子化が進行しています。
 アベノミクスがはじまって、ブラック企業退治に動くまで何年もかかりましたが、政府が景気を上向かせるにはブラック企業退治だけでなく、減税が必要だという結論に到達するまで、あと何年かかるのでしょう。というか、少子化がこれだけ進行してしまったら、いますぐに減税しても手遅れですよね。

2017年5月 8日

某国の人に向けられる、日本人の人種差別の本質

 某国の人は日本を「日帝」と呼ぶくせに、天皇を「日王」と罵倒します。
 日本を帝国と認識するなら、君主は「王」ではなく「皇帝」ですが、彼らはその矛盾に気づきません。
 なぜなら、某国の人はハングルを母語として、漢字と縁を切ってしまったから、字面でわかるその矛盾に気づけないのでしょう。あるいは気づいていても、どうでもいいのかもしれません。
 しかし、日本人は漢字がわかるのでその矛盾に無意識的に気づきます。だから日本人が日帝と日王という罵倒をセットで聞くと、罵倒にこめられた悪意よりも、座り心地の悪い矛盾を感じて気になってしまいます。
 この、「矛盾に無意識的に気づく」というのがやっかいです。
 ただの罵倒なら、お互いにストレートに相手の真意を理解し合えます。「バカ」という言葉には、バカ以上の意味はないからです。しかし、罵倒が矛盾を含むことによって意図した以上の効果が生まれます。

 さて、罵倒に矛盾が含まれることで、どんな効果が生まれるのでしょうか。
 単純にいえば、矛盾は「理解できない」という効果を生みます。理解できないということは「気持ちが悪い」ことです。
 街中で、支離滅裂な言葉を叫ぶ人がいたら、一般人は嫌悪感を抱きます。それは「理解ができない。気持ちが悪い」からで、人間の自然な感情です。
 某国の人にとって「日帝」と「日王」は罵倒の定番であり、使用頻度も高い言葉です。日本人は、その「(矛盾が)理解できない。気持ちが悪い」体験を繰り返し繰り返し受けることで、某国の人たちは「理解ができない。気持ちが悪い」人間だという印象を持ちます。
 人種差別という言葉は、某国の人たちが大好きな言葉ですが、なぜ人が差別をするのかといえば、「理解ができない。気持ちが悪い」という気持ちがその原動力のひとつになります。それは人間の自然な感情、プリミティブな感情だけに、「人種差別はいけない」という理屈では矯正できません。

 さて、ここまでみればわかるように、某国の人たちが使う罵倒は、彼らの意図を超えて、人種差別を生み出しています。その結果は深刻です。
 なぜなら、日本人にとって「気持ちが悪い人」というカテゴリーはイジメの対象だからです。在日の方が「日本人にイジメられた。これは人種差別だ」と訴えるのはこれが遠因でしょう。そして困ったことにその理由は無意識に根ざしているので、イジメをする方もされる方も「気持ちが悪い」からという以上の原因を理解できません。
 さらにいうと、某国の人が罵倒に使うネタで日帝と日王以外にも、こういう例はたくさんあります。たとえば軍艦旗や慰安婦などもそうした矛盾をはらんだ問題です。それらを延々と叫び続けることで、人種差別が強化されるというのは、滑稽であり悲しいことでもあります。

 もっとも、彼らが常日頃から日本人を罵倒しなければ、こういう問題は表にでることもなかったので、自業自得。同情の余地はありません。短期的に解決したいのであれば罵倒をやめること、長期的には異文化を理解すること。この二つですが、二つとも某国の人には難しく、こちらが手をさしのべても、彼らに学習する意欲がなければ無意味です。
 学習する意欲というよりは、彼らにとって「日本人を罵倒することが宗教的な行事」のようなものになっています。彼らにとって反日はもはや感情や理屈を超えた欲求ですから宗教儀式としか表現しようがないのですが、そうである以上、これは日本人が彼らの宗教に入信するか、彼らが改宗するしか解決策はありません。
 実際問題、彼らは我々に対して反日教に入信せよとあらゆる手管を使ってすすめてきます。彼らの罵倒に同意せよという圧力ですね。日本人はそこまで根が深い問題であるという認識がないため、これが宗教問題という認識がありません。話せばわかる問題ではないのです。ゆえに両国の問題を対話で解決しようとする努力は両国の関係をこじらせる意味しかありません。なにしろ宗教ですから対話で改善する問題ではありませんし、そのうえ対話すればするほど、矛盾が積み重なって「気持ち悪い」印象が強くなり、差別につながるのですから。

 結論としては、彼らが反日宗教を捨てて改宗するまで、対話しないことが、もっとも友好関係にプラスになります。対話なしに改宗が実現するかどうかは絶望的ですが、かといって対話しても逆効果にしかならないのですから、打つ手はありません。彼らが反日なんてどうでもよくなるくらいひどい経験をして、自発的に改宗してくれることを神に祈りましょう。
 ちなみに、日本が江戸時代に鎖国したのはキリシタンの布教が原因でした。現代においても、某国の人との宗教戦争を最終的に解決する方法として、日本が再び鎖国を選ぶ可能性があるところまで追い詰められているというのは、宗教がいかにやっかいなものかということがよくわかります。また、そういう問題が起こるのも、日本がアジアと米欧の価値観の中間に位置する国という立場ゆえなのでしょう。
 キリシタンの例にならえば、日本国内における某国の人の運命は、語るまでもないでしょう。彼らが彼らの反日思想に殉教するつもりである以上、衝突は避けられないからです。また、彼らの宗教的な理屈に沿った殉教が、彼らと宗教を共にしない日本人一般にどう受け取られるかという問題も、江戸時代初期のキリシタンの例をみればわかります。すなわち、いったん衝突がはじまれば、「気持ちの悪いもの」「理解できないもの」というレッテルを貼られた少数者は迫害を受けることになります。むしろ迫害されない理由がありません。それは哀れではありますが、相互のコミュニケーションを欠いた状態で、思想に狂えばそうなるという万国共通の心理学です。