2011年2月 1日

武士の家計簿

武士の家計簿
武士の家計簿
 海軍広報の読者さまからすすめられたので読んでみました。
 幕末から明治にかけての武士家庭の家計簿の分析によって、庶民から多額の年貢を吸い上げていた武士がなぜ借金漬けになっていったのかという話を分析した本です。
 以下ネタバレ。

 庶民と比べて武士階級は交際費と家の格式を守るための出費が際だって多いのが特徴です。武士階級は役職が高ければ収入も増えますが、交際費なども増え、手元にはあまりお金が残らない仕組みになっています。
 さて、本人の能力が高いことから新たに家臣にとりあげられた新参は、新参ゆえに収入(石高)が少ないのですが、仕事はできるのでトントン拍子に役職があがっていきます。役職があがれば、交際費や格式のための費用もあがります。この不一致により能力のある新参は必ず貧乏になる仕掛けになっていました。
 それは新参いじめではなく、身分制度を固定化(血統化。貴族化)するためにとられた幕藩システムの副産物です。出世しにくく、降格もされにくいシステムですが、このシステムに適応した古参の家臣は生き残るために、できるだけミスをしないことが肝心です。能動的に働いて出世するよりも、上の人がなんらかの原因で降格されるのを待ち構えているほうが、結果的に出世できる確率が高いからです。
 かくして江戸時代中期以降の武士はミスをしないことが信条になり、前例重視になりすぎて使い物にならなくなります。また、古参は役職と石高の格差にあえぐ新参に金を貸すことで、蓄財と政治的な力を手に入れます。
 もちろん幹部が自分の仕事そっちのけで部下への金貸しに奔走するような組織は効率がよいとはいえません。考えてみると、その非効率的なところが後生の私たちが考える「武士らしさ」の一端を形成しているように思えます。

 こうして、能力のないもの、能力があっても使う気がないものが政治を左右することで江戸の平和は保たれます。また能力があって出世するものも、借金という面から抑えられます。そのうえ、司法が独立していないため、冤罪での投獄なども行われていました。政治をする上で、根回しが大事というのは、へたにスタンドプレイにはしると、冤罪をかぶせられるというファクターがあるのでしょう。
 ちなみに以下は余談ですが、仕事のできない古参が、仕事のできる新参に金を貸すというのは、現代の日本の銀行にそっくりですが、そういえば日本の銀行って維新後に藩の上層部にいた武士が立ち上げたものが多く、そういう駄目な体質を受け継いでしまったようです。
 さて、高い俸禄を得ている者が無能であり、安い俸禄の者が実質的に組織を動かす組織において、まず軽んじられるのは補給です。補給とは、組織のトップが組織全体を見渡して考えるものであり、全体を見渡せない下っ端が考えるものではありません。
 日本が補給に無理解なのはこうした体質が影響しているのかもしれません。補給行政は組織全体を見据えて策定すべきものですから、組織全体を見据えられる立場の者が無能だと、前例を踏襲するしかないからです。

 これはどこかでみた構図です。要するに江戸時代も、戦前も、現代の日本も同じようなシステムで動いているということなのでしょう。
 そういう意味では、武士といっても江戸時代と戦国時代の武士は別物と考えるべきです。江戸時代は俸禄が固定された時代の武士であり、戦国時代は流動的だった時代。たとえるなら正社員100%と、フリーター100%の違いです。
 社会の安定には正社員の多い時代が、社会の発展度はフリーターの多い時代が勝っているということになります。そして明治維新や敗戦後の混乱で過去の俸禄が通用しなくなると、腕におぼえのあるフリーターが勇躍する時代になったわけです。
 そうやって考えてみると、武士道云々というのも、江戸時代の武士道か戦国時代の武士道かでガラリと考え方が変わるわけで、最近の若者は~といって武士道をすすめる人間のいっている武士道が江戸時代のものか、戦国時代のものなのかを見極めないといけません。まあ、十中八九、江戸時代の武士道をすすめられるのだろうけど、そういうことをいう人は自分が無能だってことをさらけだしていることになります。
 ああ恥ずかしい。

 この本を読んでそんなことを考えた。

コメント(2)

社会の発展度はフリーターの多い時代が勝っている。

なんだかなー

その前段に、社会をぶっこわすからってのを意図的に抜いているのですが、まあ、壊れた後に発展するものなのですよ。