2010年2月10日

理想と現実。

 世の中は善意で動いているというのは理想。
 世の中は利権で動いているというのが現実。
 そこで善意を信じる人々は考えた。「善意」を利権化しちまえば、世の中は善意で動くようになると。
 こうして個々人の善意を投票権という利権に変換した民主主義システムが設計された。
 ところが、候補者が有権者の善意を信じず、利権で有権者を誘導するようになり、投票権を持つ人々の心から善意が薄れ、民主主義は機能しなくなった。
 民主主義は、候補者が有権者の善意を信じるシステムを作るまで、有効に機能しないのかもしれない。

 そんな寓話を作ってみたら面白いかもしれない。

コメント(4)

勘違いしている人が多いが、民主主義というのは、良い政治家を国民が選挙で選べるシステムではなく、国民が悪い政治家を選挙によって追放できるシステムなのです。

民主主義では良い政治家を国民が選ぶことはまれですが、一度独裁制になれば、その独裁を維持するためだけに、ライバルとなる良い政治家はみな殺害されてしまいます。

だからうそつきの政治家が公約で嘘を吐いて当選するのを妨げることは結局できない。できるのは、そのうそつきに次の選挙で投票しないことだけなのです。

また、国民に利益をもたらすのが良い政治家の定義であるとするならば、多数の国民に利益をもたらすことができる政治家は、利権政治家ではなく良い政治家とみなすことができるでしょう。

(だから多数の国民ではなく、地元の少数の利益だけを見ればよい小選挙区制は、結局腐敗しやすい。中選挙区制には戻すべきだと考えます)

開発独裁といって、良い政治家が腐敗せず、短期間の間だけ政権を執って国民のため良い政策を行えば、政争に陥りやすい民主主義よりも優れた政治を行うことが可能です。(一時期の韓国や東南アジアにみられるように。アメリカもこれを支援しました。日本と異なり民度の低い国では、はじめから民主主義は不可能なのです)

私はもちろん、正しい国家、正しい政治のために独裁を支持するネトウヨ(笑)と違い、民主主義が最高の政治形態であると考える一人ですが。

民主主義は候補者が有権者の善意を信じるシステムではないので、それが有効に機能することはありません。

約束を守らなければ、候補者は有権者の悪意により追放される、それが民主主義の正義なのです。

民主主義はその当初から、国民生活を良くするという、利権誘導政治である宿命を負っています。それが全国民、そして国家の利益であれば良いのですが、他の地域に対しての、特定の地域の利権にかたよっていることが問題なのです。

本文に書いてあるように、これは寓話用に書いたものです。
政治的な正しさよりも、内容のショッキングさを優先しています。
分類も「どうでもいいこと」になっています。

寓話ならば、現実と同じように偉大な独裁者の大きな善意によって、国が滅びるオチがつくのでしょうね。多分。地獄への道は善意で舗装されているとは、イギリス、ドイツの諺ですが。

それ、銀河英雄伝説ですなw